ノストラダムスの大予言に若干ビビッた1999年も遠い昔。まさに未来の代名詞だった21世紀も、まったりと現在だったりします。年末年始の慌ただしさもすっかり日常に忘れ去られ、ともすればバレンタイン戦線の始まりです。あああ時が流れていく。
そんな「いよいよ」とも「待ってました」ともつかない微妙な2004年。若干の渇を入れるべく、身近なスタッフに私の仕事の心構え的なものをプチプレゼントと共に、手紙にしてみました(全員同じ内容)
よく、「一生懸命やっているのに」とか「何で自分ばっかりこんな目に」と、半ば、やけぎみにただただ愚痴る「困った社会人予備軍」がおります。一生懸命やって全く報われない、兆しすらない場合(これを乗り越えれば、なんとかなるけど、今はつらいってのは別)大抵、一生懸命の方向が間違っていたりします。センスの良い人や仕事の速い人。要領の良い人は、まずこの方向を見極めるのが早いのですね。「あいつばっかりなんで」の「なんで…」は理由があるのだ。
以前お世話になっていたスタイリストさんは、「ごめんね、めぐちゃん小さいから、サイズがなくって」と、よく少し大きめの服や靴を現場に持ってきていました。まあ撮影なんて殆どが正面から。後ろをピンでつまんだり、靴の前にティッシュでもつめれば、その場はなんとかなります。ど新人だった私はそんなものかな…っと思っていたのですが、現在お願いしているスタイリストさんは、必ずと言って良いほど、私にピッタリのサイズのものを持ってきてくれます。大きめな場合はそれなりに彼女の中にプランがあるのです。だからと言って、前者の人が決して感じが悪かったり、手を抜いていたともいえません。彼女は彼女なりに「一生懸命」今まで付き合いの深かったブランドを探し回ったのだと思います。でも、担当になった「林原さん」という人にあうサイズのお店の開拓は…?というと、疑問が残ります。
後者の人は、どんなに時間がなくても、どんな量でも、その中で出来る精一杯の事をしてくれます。そして現場で決して「ごめん」を言いません。言わなければならないものを、初めから持っては来ないのです。
「時間がなくて」「夕べ寝ていなくて」「先方がつかまらなくて」そりゃ人間ですから、体調や、タイミングのずれ、様々なアクシデントでうまくいかない要素はいくらでも転がっています。でも、そんな中でも、出来るだけ、「だって」と「ごめん」を言わない準備をしている人には、それなりの仕事が舞い込んで、また人脈も出来ていくような気がします。これは、ほんの一例にすぎません。そりゃ、世の中、理不尽な風習や、空気、どうにも割り切れない、やりきれない、くじけてしまう流れもあります。でも、そんな中で決して他人へのアピールではない、自分への納得のための「一生懸命」で邁進している人は確実にいます。25歳で出来ない事。今出来なくても全然いいけど、じゃあいつになったら出来る自分になるんだろう。3ヶ月後?1年後?30歳になったら出来るんだろうか。上手に人任せにしたり、苦手な事から逃げてると、いつのまにかただ、年だけとっちゃう。
頑張ろう!っと、まあ、こんな手紙の内容に、残念ながら近しい「いつも」のスタッフからしか、お返事?感想?はもらえず(欲しい訳じゃないけど)あああ、またびびらしちゃったかも…。ははは。